今でも韓国へ渡る度、私にとってこの国は何なのかを考えさせられる。どの国でも入国審査は外国人と自国人に振り分ける。30年前パスポートを作った民団の職員から、韓国入国時は韓国人の列に並び、日本に戻って来た時は日本人の列に並ぶようレクチャーを受けた。それが在日なのだ。
パスポートの記録によれば今回6年ぶりの訪韓となる。その間娘たちは度々韓国を行き来しており最近の韓国事情に通じていた。現在、韓国人の入国審査はパスポートを機械にかざすだけでよい。いわゆる自動改札のようなものだ。しかし私たちのパスポートはエラーが表示される。娘たちの指示によれば、面倒だか一旦エラーで弾かれ係員の指示にしたがって外国人の審査窓口に移動するのだという。韓国人ではあるが外国人扱いというわけだ。更に日本に戻った時、特別永住者は外国人も日本人でもない、特に案内板を掲げてない場所で入国審査を受けるようになっていた。
韓国でも日本でも例外的に扱われる私たちは第二次大戦終戦以前から当時日本人として日本に居住していた旧植民地出身者及びその子孫で、特別永住者という在留資格で日本に在留する外国人である。
ここで敢えて在留という言葉を用いるのは、いわゆる在日外国人とは日本に居住しているのではなく在留しているからである。出入国管理庁による在日外国人の正式名称は在留外国人であり、「日本に居住する外国人」という文言・表現は一切なく在留という言葉で統一されている。そして日本で生まれた私や娘たちも等しく在留資格を付与されて日本に在留している在留者なのだ。在留とは一時そこに留まって住むことで在留外国人は本来帰る国がある。しかし特別永住者は日本以外に帰る国などない。帰る国のない在留者、それが在日である。
不思議と今回の訪韓は特別なものがあった。昔は幼い娘たちの手を引いて電車バスを乗り継いだものであるが、今回は娘たちを頼って後に従った。従兄妹たちとも何不自由なく楽しげに会話する姿を見て頼もしかった。よく考えれば娘たちにとって韓国は母の田舎であり親戚たちが暮らす国である。
しかし私にとって韓国とは何なのか?30年前、それを明らかにする旅へ望んだが、冒頭の通り出入国する度に分からなくなる。敢えて言うなれば南北に分断された朝鮮半島は祖先が生きた祖国である。確かにその祖国は日本に在留する私を保護しないし何の権利も与えていない。しかし私はこれからも時々祖国を訪問することでしょう。
祖父母と父母が生まれ育った国。そして彼らが日本に携えたその国の文化と風習で私は生まれ育てられた。単純にいえば、私のキリスト者としての信仰はその事実と歴史を大切にしなさいと勧めている。私はその勧めに従い今は分断されている韓国・朝鮮を自らの祖国としてこれからも時々訪問していくことでしょう。
おわり
孫 裕久