岩の上に建てる

マタイ7:24-29

人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる。(ガラテヤ2.16)
人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。(ヤコブ2.24)

以上二つの主張は対立する。しかし互いに自ら義とされる為にという点で共通している。これに対してイエスは自ら義とされる為ではなく、隣人を自分のように愛する道を示された
真の愛は自分の義を求めない。故に律法に反することであっても、それが隣人を救うのであればそれをする自由を持っている。また律法通りでも、それが隣人を苦しめるものであればそれに服しない自由も持っている。
1985年に起こった在日の指紋押捺反対運動の最中、川崎市の伊藤三郎市長は「川崎市は指紋押捺拒否者を告発しない」と宣言し、「法も規則も人間愛を超えるものではない」との名言を残した。愛とは律法に拘束されない自由を持っているのだ。
教会は隣人愛という岩の上建てられている。私たち一人一人が、この愛によって生きるなら、教会は雨が降り、川があふれ、風が吹いて襲っても、倒れないのである。

孫 裕久

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です