狭い門から入りなさい

マタイ7:13-23

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も狭いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7.13-14)

山上の説教の結びで、イエスはその実践を要求している。そしてその難しさを狭い門に例えている。しかしその難しさは知識や能力を必要とする難しさではない。それは決断である。
山上の説教は隣人愛を指し示している。隣人愛とはそれほど難しく決断を必要とするものなのだろうか。ここまでイエスは隣人とは誰かあまり具体的に語っていない。それは8章からの物語で明らかになっていく。その隣人は律法が禁じている触れてはならず、また関係を持ってはならない人々であった。川崎戸手教会の歴史に例えるなら隣人愛とは堤防を越えていくようなものである。この難しさは知識や能力ではなく決断が要求される。
私たちキリスト者は何を信じているのだろうか。それはその狭き門の先に真の命があることを信じているのだ。その根拠は、主イエスの十字架と復活に他ならない。
主イエスが私たちに先立ってその狭き門から入っていかれた。そして主は私たちをその狭き門の向こう側から「ついて来なさい」と招いて下さっている。私たちは日々、その招きの前に立っているのだ。

孫 裕久

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