信じる力

ヨハネ福音書20:24-29

聖書の釈義に行き詰まったとき、タイムマシンでイエスの時代に行き直接その現場を見たいと思った牧師は私だけではないと思います。直接それを見た者に勝るものはなく、そしてその者から聞いた証言が続きます。故に戦争を体験した人の証言は確かに貴重です。しかしそれ以上に大切なのはそれを語り継ぐことと、その証言を無駄にすることなく平和を守っていくことではないでしょうか。
生前のイエスや復活のイエスを直接知りうる者たちが世を去った時代にヨハネ福音書は書かれました。第一証言者がいないというのはどんな気分でしょうか。実は私たちも第一証言者を知らない世代のキリスト者なのです。しかしそれを直接知る者と間接的に伝えられたものに差があるのでしょうか?ヨハネ福音書はその問いの前に立っています。そして彼らが出した答えは「見ないのに信じる人は、幸いである」でした。
見えないものよりも見えるものが確かであります。そして私たちは見えない神を信じながらも見えるものに依存し時には支配されています。「見ないのに信じる人は、幸いである」とはこの依存と支配から解放されることを意味しています。
目には見えない神を信じるとは、目に見える力や誘惑に抗うことです。見えない神が常に私たちを守り導いて下さることを信じて参りましょう。

孫 裕久

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