ただで受け、ただで与える

マタイ10:1-15

イエスは12人を派遣するにあたり「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と命じました。この言葉の背景には、伝道者が如何にして食べてくかという問題があります。労働者は労働力と引き換えに賃金を得ます。これはギブ・アンド・テイクです。しかし伝道はそうではありません。福音は売り物ではないのです。すなわち伝道者は伝道の対価として収入を得るのではなく、伝道のためにその必要が満たされるべきという考え方です。そして何より福音は恵みとして与えられたものなので、それを売り物にしてはいけないという戒めなのです。
ボランティアや奉仕は一方的に与えるもので、対価として金銭等を要求しません。しかし感謝という無形の褒美を頂戴します。これは時として金銭に勝る報酬です。私はこれで十分だと思うのですが、しかし冒頭のイエスの戒めはキリスト者にその一歩先を要求しています。
時にその奉仕が感謝されず評価されない時、有形無形に関わらず報酬を求めない奉仕であると理解つつも、人間的な弱さと限界が不機嫌を誘います。家族であるならまだしも他人に奉仕して感謝されないと、やはりつまらないのです。それが人間です。私たちは人間です。されどキリスト者です。
「聖書による独立・神と人への奉仕」、毎週この言葉を確認し、それぞれの現場に使わされます。もしその先々で感謝されない不機嫌に陥った時、主が耳元で囁く声に耳を傾けましょう。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と。

孫 裕久

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