マタイ 10:40-11:1
イエスによる弟子の派遣は、狼の群れに羊を送り込むようなもので、彼らを待ち受けるのは迫害と恐れと対立です。にも関わらずイエスは弟子たちを無一文で送り出し、経済的保証を与えませんでした。伝道者の報いは、その働きを通じて救いに預かるものが与えられることであって、報いを受けることが伝道の目的ではあってはなりません。
一方、イエスは伝道者ではなく、福音を受け入れる人たちの報いを強調します。「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、 正しい者を正しいものとして受け入れる人は、正しいものと同じ報いを受ける。」(10.41)報いを受けるのはあくまでも救われる者なのです。しかしイエスはその彼らに、伝道者に冷たい水一杯でも飲ませることを求めます。(10.42)
イエスは無一文で使わされる伝道者に対しは経済的保証を与えませんが、救いに預かった者には、伝道者を支える務めがあると言いたいのでしょう。その冷たい水一杯によって伝道者は、また奉仕者は支えられているのです。奉仕する人を支える人がいなければ奉仕の業は存在し得ません。自分自身がその奉仕をする者でなくとも、その奉仕者を支えることを通じてその奉仕の業に参加して参りましょう。
孫 裕久