マタイ福音書11:20-24
イエスは悔い改めないガリラヤの町々を厳しく叱りました。それは罪を犯した異邦人より、悔い改めないユダヤ人により重い罰が下るとのことです。これを単純に要約すれば、悔い改めの「不実行」は、罪の「実行」に勝る大罪だということです。イエスが指摘する「悔い改めない」は「悔い改めをただ実行しない」という意味に留まらない能動的な意味があり、それは今日的に「立法不作為」に例えることが出来ます。
1996年「らい予防の廃止に関する法律」によって「らい予防法」は廃止されました。しかし遅くとも1960年にはハンセン病の治療法は確立されており、それまで強い感染性と遺伝性のある不治の病という医学的知見は否定されていました。即ち、国はその間、救済できるハンセ病患者、元ハンセン病患者を隔離し続け、不妊手術などを強制したのです。
国が長年らい予防を廃止しなかったのは、その誤りを認めることを避け自己正当化し続けたからです。イエスが指摘する「悔い改めない」とはこれに等しい構造にあります。悔い改めないとは、自己正当化し続けることであり、この自己正当化、即ち自分の正しさは、罪人を排除し続けることで成り立っていたのです。
悔い改めるとは、自己正当化という円環からの脱出です。その円環の中に留まって生きることの不自由さからの脱出です。人は自分の尊厳に関わるような事案においては簡単に謝罪できません。例えば先生が生徒に、親が子どもに謝るような場合。しかしイエスの言われる「悔い改めなさい」は「謝っていいんだよ、さあその自己正当化の中から脱出しなさい、わたしのもとに来なさい」という呼び掛けであります。この呼び掛けに感謝して日々悔い改めて参りましょう。
孫 裕久