立ち止まる

―かわさき演劇まつり「モモ」を観劇して―

廃墟となった円形劇場に迷い込んだ不思議な少女モモ。モモは聞き上手で、街の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸せな気もちになるのでした。次第にモモは街の人々にとってかけがえのない存在になりました。しかしそこへ、時間どろぼうの「灰色の男たち」の魔の手が忍び寄り、町の人々から「時間」を奪い取ってしまいます
この物語の中で、印象深かったのは時間を奪われた人々の忙しい様子でした。確かに商売繁盛したり有名人になったりはしましたが、以前のようにモモとゆっくり話したり、遊んだりする時間がありません。見方を変えれば、街の人々は「時は金なり」と時間を大切に有効利用しているのです。にも関わらず益々時間のない生活になっていくとう皮肉です。
モモは奪われた人々の時間を取り戻しに行くのですが、その時、時間を司る者マスター・ホラの協力を得て一時的に時間が止められます。その合間にモモは奪い取られた人々の時間を解放します。
これは、少し立ち止まって見るということなのかなと思いました。忙しさの中で自分の為の時間を止める、少し立ち止まってみる、自分を見つめ直してみる、そういう時間がこの忙しさの中で生きる現代人に必要で、そこから本当の時間の大切さを取り戻していくのだと思います。
舞台は次のメッセージで幕を閉じます
「知ってほしいよ 今、隣にいない僕のことを 教えてあげたいよ 今、隣にいない私のことを」
これは演出家の解釈だと思うのですが、時間を奪われるとはどういうことか?それは人々が自分の為にだけ時間を投資し続けた結果、隣人に気づかなくなってしまったということ。
そして時間を取り戻すとは、その隣人に気づくことなのだと。時間は金ではなく、時間はその隣人と共に生きる命なのだと。

孫 裕久

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