故郷の言葉

聖霊に満たされた弟子たちは、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだしました。この出来事は福音が全世界に広められたことを象徴しており、キリスト教会の誕生日として記念されています
さて、この出来事に遭遇した外国生まれのユダヤ人たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉で福音が語られていることに驚きました。民族宗教であるユダヤ教はヘブライ語によって伝承されており、その理解には言語を習得しなければなりません。わたしも子ども時代、在日大韓西成教会で讃美歌、主の祈りなど、その意味の理解以前に口伝によって韓国語で賛美し祈っていました。私にとっての日本語がそうであるように、外国語を母語としていたユダヤ人にとって、その生まれ故郷の言葉で福音を耳にした事件は、冒頭の象徴と記念以上のものがあります。
それは、言葉の壁の向こう側にあったものが、言葉自ら壁を乗り越えて来てくれたそれ自体が福音であったということです。
伝道とは伝道する主体の言葉ですが、その内実は伝道される側にあります。ペンテコステの事件にある言葉は壁を象徴しています。この世には様々な壁があります。福音とはそれに預かるために壁を乗り越えていかねばならぬ性質のものではなく、福音そのものが壁を乗り越えやって来る恵みです。教会は壁の向こう側にいる人々に手を差し出して此方側に招くのではなく、壁を乗り越えて向こう側に参りましょう。主イエスのように。

孫 裕久

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