人生でこれ程相手の眼をじっと見つめた事はないかもしれません。野良子と名付けたのは教会のお隣にお住まいの橋本さんです。野良子は元々お向かえのアパートで飼われていた猫であったと思われます。アパートが取り壊されから飼い主を失って野良となり、上手に町内の人々に依存しながら強かに生きています。
橋本さんとはまるで飼い主であるかのような親しい関係にありますが、決して家に泊まることはなく、夜何処で過ごしているのかは分かりません。
最近、娘たちと距離を縮めはじめ餌をねだりに教会の表に寝転がっています。しかし私との距離感は微妙です。私が野良子と見つめ合うのは玄関のガラス越しで、ドアを開けると逃げますが、餌を置いてドアを閉めると戻ってきます。毎日、野良子とガラス越しに見つめ合いその眼を見つめていると、私は野良子とどういう関係を望んでいるのかを問われているように感じました。娘たちはねだりますが、私はペットを飼いたくはありません。出来れば責任の伴わない野良猫や野鳥に気分次第で餌をあげて、飼いならすぐらいの程度が丁度いいのです。しかしそんな私の心の内を見透かしているかのような眼で野良子は私を見つめます。橋本さんは野良子を我が子のように接し、野良子も橋本さんを母のように慕っています。私と野良子の関係は?
誰かと関係を持とうとする時、私はどういう関係を望んでいるのか。それは自分に都合の良い身勝手な関係が多かったように思います。今日も野良子の眼が「お前はどういう関係を持とうとしているのか?」と私に問うのです。そして近所の子どもたちなど、誰かと出会い関係を持とうとする時、同じように野良子の眼が私に問うのです。
孫 裕久