ありのまま

最近の若者の歌やエッセーには「ありのままで良い」というメッセージが込められているように感じます。このメッセージは、一昔前であれば出自や外見等で差別された人々が自分を取り戻す力でありました。しかし最近のそれは価値観や人生観に対して「ありのままで良い」と伝えているように思います。
「ありのまま」とは、静止したありのままの姿があるのではなく、社会の中で多数派に属する為の引き換えに放棄したものがあって、それを取り戻していく不断の作業のように思うのです。
それは日本人でないのに日本しらく生きることであったり、世間がイイね!と評価したものに同意したりすることで、99匹側に属することが許されるような生き方。昨日まで人気を集めておきながら、一つのミスで今日は全国から非難を浴び奈落の底に突き落とされるような現実。
そのような生き方と現実の中で若者はもがき「ありのままで良い」というメッセージを手がかりに、社会に属するために手放してしまった自分の「ありのまま」を探している声が聞こえてきます。そして教会は、このお手伝いが出来ると思うのです。

孫 裕久

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