一週一言

ローマ皇帝への納税は律法に適っているかという問に対して、イエスはデナリオン銀貨の肖像から、皇帝のものは皇帝に返せと回答しました。この皇帝に返すとは2つの意味があります。
一つは持ち主に返すのであって納税ではないとする子ども騙しです。今一つは現実的に納税しなければならない(権力者に逆らえない)ユダヤ人を裁くことは出来ないとするイエスの慈悲です。
しかしその一方で、イエスは「神のものは神に返しなさい」と命じました。これは文字通り、皇帝の銀貨を皇帝に返すのだから、当然神の愛も神に返しなさいという意味です。そして愛を神に返すとは、隣人を自分のように愛しなさいに行き着きます。
さらに言えば、皇帝への納税の善悪を突き詰め考えたあげく罪に問われないような都合の良い解釈を見出すために時間を浪費するなら、先ず神のものを神に返しなさいということでしょう。
律法上の善悪を議論すること自体は否定しません。しかしその善悪を明らかにすることで神に何をお返しするのかが大切なのです。その善悪を明らかにして、誰が救われるのか?誰と誰が和解できるのか?律法は神のみ心に仕えるものであって、他人を裁き自己正当化するための道具ではないのです。
この世を生きる限りこの世の権力に屈する時があります。信仰を持たなければ悩みませんが、神の国を信じ待ち望むものはそこで自分の弱さや矛盾を嘆いてしまいます。しかしそんなあなたに主は言われるのです。皇帝のものは皇帝に返せば良い。であるなら神のものを神に返しなさい。それで良いのだ、と。

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