多数者の心得

あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。(レビ記19.34)

採決の結果は殆ど200対160でした。
今回の教団総会(11/29-31)で議長選挙は本当選挙のみとし予備選挙しませんでした。予備選挙は選ばれた上位5名が所信表明をします。何故予備選挙をしなかったのか?それは無駄だからです。無駄とは種々ありますが、この場合、結果が分かっていることに時間を使うのは無駄だという話です。
多数派からは熱意ある意見を聞くことができません。その殆どが沈黙し心で冷笑しているようにも伺えます。どの議案も200対160という結果が見えているので議論に時間を浪費することを嫌います。
総会閉会中に委託される常議員会は教師14名、信徒13名(計27名)で構成されます。多数派にとって議論は無駄であり、それは加速して更に少数派の意見を聞く時間さえも無駄に思えます。故に常議員選挙方法について多数派は全数連記(一人が27名分を投票)を主張し多数決でそのようになりました。そして常議員会は一党独裁体制となり少数派の意見を述べる機会さえも排除されます
多数派に身を置くと無駄を省きたくなるものです。確かに無駄は省くべきでしょう。しかし結果が分かっているので話を聞く必要はないとする判断は傲慢であります。
旧約聖書の至る所に少数者を保護する戒めがあります。そしてその理由は、かつては自分たちも少数者であったから、その気持ちを忘れてはならないとするものです。
人生、時に少数派であり、また時に多数派に身を置く時があります。多数派にある時、数にものを言わせてしまいがちですが、少数派の声や権利を無駄にすることのないよう努めて参りましょう。

孫 裕久

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