影と鏡

つまり真の敵とは、いったい誰なのか。神に背を向けること、イエスから逃げること、和解を拒み、謝ることも、赦すこともできないこと。このような姿勢を私たちは他人の中に見いだしがちですが、実のところ、それは自分自身の中にあります。真の敵とは、結局のところ自分自身なのです。
ゲッセマネで、弟子たちはイエスを見捨てて逃げました。しかしペトロはただ一人、付かず離れずの距離でイエスの後を追いました。遠ざかることも、近づくこともできないその姿は、私たち信仰者の現実を象徴しています。私たちもまた、信じつつも踏み切れず、従いたくても従いきれず、いつも曖昧な立ち位置に立っています。
しかしその中途半端な在り方が、ペトロを三度の否認へと導きました。鶏の鳴き声とともに、彼は自らの弱さ、裏切り、恐れに直面します。そしてその時こそ、彼は真の敵、神に背を向け、イエスを否定した自分自身と出会ったのです。
自分と向き合うことは怖いことです。私たちはつい、誰かの言動を批判することで、自分の正しさを確認しようとします。
例えば、最近世界を騒がしているトランプ大統領。彼の自らの欲望に従う行動が、移民や他国の人々、そしてアメリカ社会にどれほどの影を落としているでしょうか。それを見て私たちは「彼はひどい」と非難します。
しかしその時、自分はどうでしょう。口では正論を語りながら、実際には自分の都合を優先し、他人の目の届かないところでは安易な選択をしています。まるでトランプ氏の姿に自分の影が重なって見える瞬間があります。
人の振る舞いを通して自分を見つめ直すことは、簡単なようで難しいです。しかしその難しさに目を背ければ、心の鏡は曇ったままです。鏡は影を映します。影を見つめるとき、そこに映っているのは他人ではなく、他ならぬ自分自身なのです。
真の敵と向き合うこと、それは苦しく、できれば避けたいことです。しかし年に一度の受難週、この特別な週だけでも、主のご受難を憶えて鏡に映る自分の影と向き合ってみましょう。そして復活の朝を迎えましょう。

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