礼儀

孫 裕久

「トイレをお借りします、という意味が理解できません」と話し始めましたのは、スリランカから来た留学生です。スリランカでは友だちの家で、いちいち断りを入れることはないとのこと。見たい本があれば勝手に読むし、そこにお菓子があれば当たり前に食べる。友だちのものは私のものだというのです。
今年もYMCAの新学期が始まり、学生たちに自己紹介をしてもらいました。これはその時の話題です。スリランカでは、友だちのものは私のものという感覚で、まして「トイレを借りる」などという言葉は、日本で初めて聞いたとのことです。私はにわかには信じがたく、他のスリランカの学生に確認を求めたところ、みな当然のようにうなずいていました。
日本語の語学力の問題もあるでしょうから、「友だちのものは私のもの」という表現は、厳密な意味で正確ではないかもしれません。それでも、少なくとも彼らの中では、友人関係は家族の延長にあるのだろうと思わされました。
日本では、「親しき仲にも礼儀あり」を大切にします。たとえ親しい友であっても、一言断りを入れることが礼儀です。しかし、だからといってスリランカには礼儀がない、ということではありません。むしろ彼らにとっては、遠慮しすぎないことが、友への礼儀なのでしょう。
日本の教会では、多くの場合、「兄弟姉妹」と呼びながら、実際のふるまいはかなり節度的です。たしかに、信仰の言葉としては、互いを兄弟姉妹と呼びます。それは、血縁を超えて、神の前で同じ家族に入れられている、という理解です。しかし実際には、物や空間や生活にまで踏み込んで、「本当の家族のように」ふるまうことは、あまりしません。しかし、使徒言行録によれば、原始教会は貧富を問わず、みながすべての物を共有にしていたと記されています。そこには、今の私たちが当たり前と思っている距離感とは、少し違う交わりがあったようです。
もちろん、現代の教会で、ただ昔に戻るように「何でも共有すればよい」という話ではありません。一言声をかけることもまた、相手を大切にする愛の形だからです。それでも「兄弟姉妹」という言葉が、単なる呼び名になってはいないでしょうか。
礼儀には、距離を保つ礼儀もあれば、遠慮しすぎない礼儀もあります。日本の教会は、前者に強く形づくられてきたのかもしれません。だからこそ、互いを「兄弟姉妹」と呼ぶとはどういうことなのか、その意味を改めて問われたような一コマでした。

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