他者中心の神

マルコ8.14-21 イエスは「まだ悟らないのか」と言われた。(8.21) 弟子たちの致命的な問題はイエスが共にいる事を気づいていない点にある。故にイエスは「目があっても見えないのか」と嘆かれる。イエスの「ファリサイ派の…

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愛は語らず

マルコ8.11-13 ファリサイ派の人々がイエスにしるしを求めた。しかしイエスはこれを拒んだ。 ここでしるしとは奇跡を意味している。イエスは救いを求める人々に奇跡(しるし)をもって応えた。しかしファリサイ派の人々は救いを…

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新しい道

マタイ2.1-12 東の国から訪れた占星術の博士らは、今日でいうところの星占い師である。ユダヤ教はこの占い・魔術の類を避けた。これは異教の占い師がユダヤ人の王として生まれた方を拝みに来た物語である。 彼らは黄金、乳香、没…

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インマヌエル

マタイ福音書2:1-8 インマヌエルとは神が共に在るという約束である。孤独や苦境に置かれた人にとって共に居てくれるという約束は何にも代えがたい喜びである。しかし一方、約束する側は相当の決意が要求される。インマヌエルの行間…

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帰路を案じて

マルコ福音書8:1-10 わずかなパンで大勢の群衆が満たされた奇跡物語は既に(6:30~)見た所である。しかし今回はパンを共有した動機に前回との違いを確認する。 「空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れ切ってしまうだろう」…

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