不安と誘惑

マルコ11.12-19 イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を得る者の腰掛けをひっくり返された。また境内を通ってものを運ぶこともお許しにならなかった。(マルコ11:15-16…

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受難のはじまり

マルコ11.1-11 イエスは大歓迎の内にエルサレムに入場した。しかし皮肉にもここから受難物語が幕開ける。そして実はその幕開けに相応しい様子がここに描かれている。 人々が歓迎したのはユダヤをローマの支配から解放しダビデ王…

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憐れみ深い神

マルコ10:46-52 彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。(10:48) 聖書において「憐れむ」という言葉は重要な位置をしめている。イエスは病める人を深く憐れみ癒やしの奇跡をおこなう。…

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人に仕える神

マルコ10:35-45 弟子たちの「誰が一番偉いか」という議論の背後には、イエスが王座についた後の重役ポスト争いがあった。今日的に言い換えれば入閣して財務大臣か外務大臣のポストを狙うようなものかも知れない。省庁には大勢の…

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復活

ルカ福音書24.1-12 空虚な墓はイエスの復活を伝えているが、同時にイエスは此処にはおられないことを強調している。 キリスト者の日常は復活のイエスに出会い且つ復活を伝えて行く所にある。にも関わらず復活を説明するのは、理…

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受難

マルコ10:32-34 「もしあなたを傷つけたとしたら申し訳ありません。」これは謝罪の常套文句であるが、傷つけられた方としては真に残念な言葉である。求めている本質は理解であって謝罪はその理解の延長にある必然に過ぎない。 …

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子どものように

マルコ10:13-16 長年病に苦しんだ女がイエスに触れて癒やされた(マルコ5.25~)。それは彼女がそれを信じた信仰の結果であって触れた事は付属的に過ぎない。しかし人々の間では触れる事がひとり歩きした。弟子たちが子ども…

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最後尾の気持

マルコ10:1-12 「あなたは未受洗者陪餐を是とするか?非とするか?」。そんなたった1つの問いで、その人物を色分けしてしまっているのが教団の現実である。そしてこれと同質の問いが巷に溢れている。これに是と答えるか?非と答…

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塩を持つ

マルコ9:41-50 本章の結論は、これらの小さい者の一人をつまずかせてはならない(9.42)、互いに平和に過ごしなさい、そのために自分自身の内に塩を持ちなさい、(9.50)である。 極めてシンプルな内容であるがこのテキ…

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