偽善の戒め
マタイ 6:1-6 , 16-18 律法は弱者のために定められた。しかし人間は自己正当化と他人を裁くために律法を用いた。即ち律法は弱者救済(隣人救済)ではなく、人間個人が救いの高みへ登るための道具に成り下がった。これを本…
続きを読む →マタイ 6:1-6 , 16-18 律法は弱者のために定められた。しかし人間は自己正当化と他人を裁くために律法を用いた。即ち律法は弱者救済(隣人救済)ではなく、人間個人が救いの高みへ登るための道具に成り下がった。これを本…
続きを読む →マタイ5:43-48 「汝殺すなかれ」等、律法の禁止令はそれを行わなければ罪にならない。しかし「隣人を愛せよ」は不履行によって罪となる。そこで隣人とは誰か、どこまでを隣人とするかが関心事となった。即ち、民にとって「愛せよ…
続きを読む →マタイ5:38-42 あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかしわたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(マタイ5.3…
続きを読む →マタイ5:33-37 わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。私は主である。(レビ記19.12) この律法は十戒(出20.7)の「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない…
続きを読む →マタイ5:27-32 出エジプトの民は解放されシナイ山で律法を授かった。これは力の支配から律法の支配の支配へ変わったといえる。即ち、力が弱者を支配する世界から律法が弱者を力から保護する世界へと変わった。律法とは本来、弱者…
続きを読む →マタイ5:17-26 モーセの十戒は第6〜10で日常の犯罪を禁止している。その第一が「汝殺すなかれ」(出エジプト20.13)である。 律法は殺人を裁くが殺意を裁くことは出来ない。しかしイエスは殺意から程遠い兄弟に腹を立て…
続きを読む →マタイ5:13-16 地の塩、世の光とは、この社会にあって無くてはならい存在をたとえている。しかし同時にそれぞれが全く逆の意味を兼ね備えている。 料理で塩は欠かせない調味料である。しかし塩味が強過ぎると食事が台無しになる…
続きを読む →ヨブ記23章 それゆえ、わたしは御顔におびえ/考えれば考えるほど、恐れる。 神はわたしの勇気を失わせ/全能者はわたしをおびえさせる。 わたしは暗黒を前にし/目の前には闇が立ちこめているのに/なぜ、滅ぼし尽くされずにいるの…
続きを読む →マタイ福音書5.1-12 主イエスの山上の説教は「幸い」からはじまる。しかしこれはいわゆる幸福論ではない。何故それを幸いといえるのか?机上でその意味を考え、幸いといえる解釈を見出し説明することに大した意味はない。否、説明…
続きを読む →主イエスの愛は、隣人に制限なく友になっていく愛であった。一方使徒パウロの愛は共同体がその主イエスによって一つになる為の愛であった。そしてこの愛は忍耐であった。 主イエスはユダヤ教内で罪人の問題を背景にしていたが、パウロの…
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