30年史のために(5) 繆とよ姉のこと[1] 関田寛雄
繆とよ姉のこと<1> 前号で言及した、私たちの家族が戸手に移動するに当って、「ある方の紹介で」と書いたのは繆とよ姉のことである。 戸手教会の前史にとって彼女の存在は欠かせないものである。繆(旧姓小宮)とよ姉について、彼…
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続きを読む →関田寛雄 川崎桜本での25年 桜本での教会形成については、ここで詳述するわけには行かないが、最小限の事を述べておきたい。桜本教会と青山学院大学との「二足のわらじ」を履き続ける事は、やはり難しかった。恩師の浅野先生との相談…
続きを読む →川崎桜本へ 関田寛雄 青山学院教会を辞任した私は、大学院に入学し青山学院高等部の聖書科教師の職を紹介され(この時も気賀重躬先生のお世話を蒙った)、これをアルバイトとして再出発した。 「教会らしい教会へ行きたい」という願…
続きを読む →初任地の教会にて 関田寛雄 青山学院教会という教会は青山学院というメソヂスト・ミッションの作った学校の歴史と共にある有名な教会であり、その教会の牧師は青山学院全体のキリスト教教育の責任者でもあった。 それ故この教会は歴…
続きを読む →はじめに 孫裕久牧師の要請により、表題のような文章を「一週一言」に連載するハメになった。「一週一言」の性格上、楽しんで読んで 頂けるものでなければならない。これは難しい事である。 私としては私自身の「個人史的物語」として…
続きを読む →Tさんが土手に住むようになったのは1959年。 当時はレンガ工場跡を中央に5、6戸づつの固まりが点在し、 計20戸ほどの集落で、電気、水道はもとより電話や衛生車の 巡回など一切無く、照明はカーバイト、ゴミや汚物は 川に流…
続きを読む →これは(題目)、ある韓国語をそのまま漢字にしました。 <myong-shim po-gam>と読みます。 日本語では「メイシン ホウカン」と読むのでしょうか。 韓国語で銘心寶鑑とは何であるのかはさておき、 その意味を漢和…
続きを読む →アドベントに入ってから、マタイによる福音書1章18- 23節(生誕物語)を繰り返し読み続けてきました。 本日、クリスマス礼拝の説教個所というのがその理由であります。 やはり何度も読んでいますと、何となくいつも気付かなかっ…
続きを読む →何ともし難い!本当に何ともし難い!3月19日(木)午後8時半。関田牧師宅での祈祷会の時の事。その日、祈祷会に参加していたのは関田牧師、大倉牧師と私の三人だけであった。祈りを終えた我々はテレビ(寅さんの特別番組)を見ながら…
続きを読む →戸手河川敷は年々人口が減少しています。それに反比例して空き家、借家が増加しています。過去のデータによりますと、200件400人と言われたこの街も、今では100件220人にまで減少しました。これは下流地域がスーパー堤防化さ…
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