死に到る病

韓国釜山の日本領事館前に新たに立てられた平和の碑(少女像)に対して、日韓合意に基づいて日本が10億円を韓国に支給したにもかかわらず、少女像が移転されていない事実を「まるで『振り込め詐欺』だ」と首相周辺から不満の声が上がっているとメディが報じています。

確かに国家間の約束ですから、これを履行しないのは韓国政府に責任があります。しかしその約束の中身が如何ともし難く情けない。平たく言えば「10億円やるから、少女像を撤去して、慰安婦問題について今後ゴジャゴジャ言わんでくれ」という内容です。

何故、日本は「孤絶の歴史」を築くのでしょうか。何故、過ちを認め謝り和解し新しい関係を築いていくという事が出来ないのでしょうか。どうして政治を、経済の道具としてしか使い道を知らないのでしょうか。

最早これは「死に至る病」です。ネルソン・マンデラ氏の名言「真の和解は、ただ単に過去を忘れ去ることではない」にあやかるならば、日本は韓国と和解する気はなく、故に謝罪する理由もなく、経済的関係はあっても真の友好関係はそこにありません。

キルケゴールは自己とは関係であり、故に関係の喪失が(自己の)絶望であり、この絶望こそが死に至る病であると申しました。メキシコとの国境に壁を築こうとしているアメリカもこの絶望的病に陥っています。

希望は関係の中にあります。他者との関係。それは利害の関係ではなく共生の関係です。共生の関係とは、(互いにではなく)私をあなたの為に用いる関係です。そこにこそ、生きていること、人と関わること、そんなシンプルなことのなかに、喜びを感じられる瞬間が(実は)沢山あるのだと信じます。

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