目を覚ましていなさい(マタイ福音書24:36-44)

「その日、その時は誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけが、ご存知である」(24.36

イエスは24章から世の終わりについて語ります。その時苦難を避けることは出来ないが決してまだ終わりではない「惑わされるな」と。

しかし一方で、それは突然訪れるとも語ります。故に終りが来るといって惑わされ慌ててはいけないが、しかし、それがいつ来ても良いように目を覚ましていなさいとイエスは語ります。

私たちは初代教会ように間近に迫った終末を生きていません。故に慌てることもなく、今か今かと身構える必要もありません。しかし信仰を生きるとは、何れにしろ終末というものを射程に置くことが大切であると私は考えます。

私たちは神の国(神の支配、主の平和)を待ち望んでいます。それは差別、貧困、戦争のない世の中をイメージしていますが、おそらく自分の存命中に実現すると思っている人はいないでしょう。しかしそのような姿勢ではやはり神の国は実現するものではありません。

イエスがまだ終わりではないが、しかし目を覚ましていなさいというのは、惑わされることなく、しかし常に危機感と緊張感を持って生きなさいという事です。

今日本は右側だけで権力闘争する危機迫る状況です。しかし慌ててはいけません。惑わされてはいけません。まだ終わりではありません。今なすべきことは、しっかりと地に足をつけて、「戦責告白」の精神に立ち返り、近く訪れる(既に始まりつつ在る)独裁政権に対して、きちんとした教団の神学的宣言を打ち立てることではないでしょうか。

ヒトラー独裁政権に対し、告白教会は慌てず惑わされずKバルト等を中心に「バルメン宣言」を作成しました。その宣言こそがドイツ教会闘争を支えたのです。

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