すれ違って出会う

11/23、紅葉坂教会に於いて「戦責告白」50年を覚える記念集会が開催され、帝京科学大学の一色哲(いっしきあき)氏より「沖縄戦後史から見た『戦責告白』とすれ違う“善意”」と題して講演をいただきました。
「戦責告白」に沖縄への謝罪が無いと指摘されますが、しかし何を謝罪すべきなのか?即ち日本基督教団が沖縄の教会に対し、戦前・戦中・戦後に渡り如何なる罪を犯したのか、またその自覚の有無について一色氏は詳細に検証されました。
その上で見えてくる「すれ違う善意」とは、例えば沖縄復帰に先駆けて日本基督教団は沖縄キリスト教団との合同を模索しますが、そこには沖縄は教団との合同を望んでいるであろうとする当然の前提があり、故に教団の合同推進は善意なのであります。しかし一方の沖縄は性急な合同には消極的であったり、そもそも合同に否定的な考えもありました。一色氏はこのすれ違いに着目し、沖日両教会のすれ違いを歴史的に検証し、隣人への善意は必ずしも相手にとって望むべきこととは限らず、むしろそれは実態として抑圧や支配となっている場合もあると指摘されました。教団が沖縄に謝罪する時、先ずはそのすれ違いを検証しなければなりません。そして常に善意には必ずすれ違いがあることをわきまえるて臨むことを自らも大切にしているとして結ばれました。
「隣人を自分のように愛しなさい」とする主の教えは、私たちの善意を触発します。しかしその善意と相手の望みは必ずどこかですれ違っています。しかし私は思うのです。そのすれ違いこそが出会いの始まりではないだろうかと。一色氏の言われるように、すれ違いをわきまえることは大切です。しかしそれが過度になればすれ違いを避けることに関心が置かれ、何だか必要以上に言葉を選び過ぎる人が目立つ昨今ではないかとややストレスを抱えておりました。
関田牧師と金萬守アボジの出会いは、こひつじ保育園に金光燮君を本名で迎えたいとする日本人の善意でした。しかしそれは、隠れて生きることを強いられる者が、それを強いる者から隠れるなと言われるようなもので、それこそが正にすれ違う善意であります。しかしそのすれ違いに関田牧師は学び成長し、金萬守アボジとの関係を育まれました。独りよがりな善意が隣人に迷惑をかける事があってはなりません。故にそのすれ違いをわきまえて歩んで参りたいと思います。しかし、共に生きようする善意は常にすれ違いから始まり、大なり小なり迷惑を掛けるものなのです。それを恐れていては我々の「出会い」というものは無いでしょう。

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