代え難い恵み(マルコ福音書1.16-20)

師弟関係とは本来、弟子から師と仰ぐ人を訪ねて弟子入りを願うものです。しかし師であるイエスは自ら弟子を招きました。しかもその弟子は漁師でした。これは弟子の選考基準に特段条件を定めていないことを意味しています。
しかし敢えてそこに選考基準があったとするなら、それは次の聖書の言葉で説明がこと足ります。

「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただあなたたちに対する主の愛のゆえに、」(申命記7.7-8)

神の国では全て平等です。しかしこの平等とはこの世でいと小さき者が最も重んじられて実現する神の国の平等です。
イエスの招きは無条件です。無条件であるが故に漁師が招かれました。故にこの招きは恵みです。
これは、この世の条件下では本来招かれない者が招かれており、神の国の無条件下において招かれるべき者が招かれている。
それ故この招きは招かれた者にとって何にも代え難い恵みなのです。それは網(生活手段)を捨て、家族を捨ててでも逃してならぬチャンスなのです。
「時は満ちた」とはチャンスが到来したという意味です。
「悔い改めて」とは隠れるなという意味です。アダムと女が隠れたように。(創3.8)
「福音を信じなさい」とはこの無条件の招きに喜んで参加しなさいという意味です。

この世にある様々な条件はその意図を別にして人間を格付けします。その権利と恩恵は全て条件付きで、それを満たすものと満たさぬものとの間に壁を作ります。
神の無条件の招きはこの壁を取り除くのです。先ず神自身がご自身と人間との間を隔てる壁を御子によって取り除かれたように。(マルコ15.38)
「福音を信じる」とは全てを捨てでもこの恵みのチャンスを逃さず、ありのままの自分を曝け出して、人々の間を隔てる壁を取り除いていくということに他なりません。
福音を信じましょう。即ち、この恵みの招きに参加いたしましょう。

孫 裕久

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です