うわべと真実

コリントⅡ 10:7-11

コリントにいるパウロの論敵はパウロのうわべを批判した。うわべの批判は交わりを窮屈にして壊していく。パウロは互いにキリストに属するものとしてうわべではなく聖霊による真実なコイノーニアを求めた。真実な交わりは打ち壊すのではなく造り上げてく。(10.8)
人間は普段うわべの交わりをしている。うわべとは外見、見かけという意味であるが、パウロのうわべとは内面や人格をも含んでいる。それら全てを含んで、私たち人間はそのうわべを上手に見せたり見せなかったり、そして他人のうわべを時に見て見ぬ振りをしながら上手に人と交わっている。故にうわべの交わりは疲れストレスが溜まり些細なことで壊れる。
教会はうわべの交わりではない。聖霊による真実のコイノーニア(交わり)である。思想的、社会的隔たりを超えた相互のコイノーニアであり、全てのものをコイノス(共有)する共同体である。
人間である以上うわべを持ちまた他人のうわべが見える。教会の中にも当然そのうわべがある。しかしキリスト者は日曜日教会でうわべの交わりをしない。確かにそれは見え、それは聞こえ、それは感じる。しかし私たちキリスト者はそこで交わっているのではない。聖霊による真実のコイノーニアは自分のうわべを見せる努力をしないし、姉妹兄弟のうわべに躓かない。なぜならうわべで交わっているのではないから。あえて言うなら最も弱い部分で交わっている。故に真実なのだ。

孫 裕久

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