天の富

マタイ6:19-24

「富は、天に積みなさい。」(6.20)

天に積む富とは何か、如何にしてその富を天に積むことが出来るのか。イエスはそれを具体的に語ってはいない。そもそもイエスはここで積極的に天に富を積むことを勧めているのではない。「どうせ積むなら天に積め」という程度で、力点は地上に富を積むな、という点にある。これは警告である。
人が生きていく上でお金は必要である。しかし日毎の糧以上(必要以上)のお金は信仰を腐らせる危険がある。
「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」(6.21)
富によって平安を得たなら最早信仰は不要である。否、その平安の上に胡座をかく「信仰」は「ごうまん」とも読める。
毎年、年度末になると決算が気になる。沢山欲しいとまでは言わないが、不足分を補うだけの「もう少しだけあれば」と思うし、又そう思う心を「欲」とまでは言えない。しかしそのもう少しを求める心が、もし私のそして教会の信仰を腐らせてしまうなら、その不足によって且つそれを補う、もう少しの信仰を求めて参りましょう。

余滴:それでも献金を呼び掛けねばならぬのが、会計役員の辛いところである。

孫 裕久

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