民主主義の希望

民主主義:法律・政策、指導者、国家・その他の主要事業が直接的または間接的に「人民 (people) 」によって決定される統治システム。(Wikipedia)

民主主義の利点は特定の支配者層(君主)によって物事が決定されない点にあります。しかし言い換えれば人民は政治の責任を他人のせいに出来なということです。
現在トランプ氏は、大統領選挙の手続きを妨害するなど4つの罪で訴えられていますが、そのトランプ氏がアメリカ大統領に返り咲きました。これは人民が選んだ結果であり、その責任は人民にある訳です。
民主主義の欠点というべきかその勘違いは、人民の選択(多数決)が必ずしも正しいとは限らない点にあります。人民の欲が結果を生むこともあり、それが社会的弱者にとって不利益をもたらしたり、見て見ぬふりをさせたりします。
聖書が見つめる人間の罪はそこに潜んでいます。イエスを十字架に架けたのは誰でしょうか。そこには様々な人間と罪が関わっています。自らの正当性を守るためにイエス殺害を企てたユダヤ教指導者たち。イエスに命をかけると誓いながらイエスを見捨て逃亡した弟子たち。保身のために民の声を聞き入れたポンテオ・ピラト。十字架で息絶えようとするイエスに罵詈雑言を浴びせた人々。私たち人間は常にその何処かに立っているのかも知れません。
それにしても、やはり民主主義の利点は、人民が選んだ結果をその人民自身が引き受けて行くことのできる希望ではないでしょうか。
なかなか言葉で言い表し難いのですが、そこに十字架と復活の連続性があるように思うのです。十字架と正直に向き合うことで復活への道が開かれるように、民主主義もまた民主主義によって生まれた結果(罪)と正直に向き合うことで民主主義の希望が開かれるのだと。

孫 裕久

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