木村努
「ガリラヤの風かおる丘で」
旧讃美歌から21に変わった当初、歌詞が誤植された。「弟子たちをさとされた」が「弟子たちにさとされた」になっている。これではイエスが弟子たちから諭されることになってしまう。何故、誤植されたのだろう。もしかしたら誤植した人は、イエスの十字架への予言に対して、「先生、そんなことは言ってはいけない」と言ったペテロの言葉が頭の中にあったのではないだろうか。
ちなみに作曲者は蒔田尚晃。私の世代では冬木透の名前の方が通りが良い。「ウルトラセブン」などの作曲者だ。
「慈しみ深い友なるイエス」
こちらは誤植ではなく意識して変更された。恐らく「深き」という文語調を口語調に自動変換したものと思われる。
井上陽水に「枕詞」という歌がある。
「浅き夢、淡き恋、遠き道、青き空」
わざと文語調の歌詞にしている。その方が言葉に味わいがあるからだ。慈しみ深きもわざわざ替えなくても良かったような気がする。
「勝利を望み」
元歌は「WE SHALL OVERCOME」
キング牧師の公民権運動を象徴する歌だ。私は高石友也の歌で知った。勝利という言葉は意訳で、本来は「乗り越えて行く」。
いつか人類は差別のない社会を目指して、今ある差別を克服するという希望の歌だ。高石バージョンではそれを「勝利の日まで」と歌っていた。元歌は歌詞を繰り返していて、高石友也はそこは踏襲して歌っていた。
しかし、讃美歌になると繰り返しはなくなり、「勝利を望み、勇みて進まん」になってしまう。軍歌みたいで、私はあまり好きでない。