孫裕久
先日の講義の後で、一人の学生が私に、ある映画を紹介してくれました。彼はホワイトボードに「12 Angry Men」と書き、「今日の講義を聞いて、この映画を思い出しました」と言って勧めてくれたのです。
翌日、調べてみたところ、日本では『十二人の怒れる男』という題で公開され、「アメリカの法廷サスペンス映画の最高傑作」と紹介されていました。1957年の古い映画ですが、運よくインターネットで視聴することができました。
舞台は、父親殺しの罪に問われた18歳の少年の裁判です。証拠や目撃証言は圧倒的に少年に不利で、有罪なら死刑が確定します。評決は陪審員に委ねられ、場面は法廷から別室へ移ります。誰もがすぐに有罪評決でまとまると思う中、12人の陪審員による最初の投票が行われました。結果は有罪11票、無罪1票。陪審員の評決は全員一致が原則ということで、そこから議論が始まります。
ちなみに、上映時間95分のうち、最初の3分と最後の1分を除いて他は、陪審員たちの議論する密室で撮影されています。
無罪票を投じた一人は、ほかの陪審員から、その理由を追及されます。彼は、少年が無罪だと確信していたわけではありません。ただ、「人の命を決めるのに、こんなに簡単に決めてよいのか」と考えたのです。彼がしたことは、正解を示すことではなく、すぐに閉じられようとしていた問いを、もう一度開くことでした。
議論が進むにつれて明らかになるのは、少年を裁いている陪審員たちの判断が、それぞれの事情や偏見、過去の傷に動かされていたことです。人は事実を客観的に見ているつもりでも、「自分」というレンズを通して見ています。物語では、議論の途中で何度か投票が繰り返され、そのたびに無罪票が増えていきます。
映画を見終えて、その学生がなぜこれを私に勧めたのか、少し分かったような気がしました。大切なのは、「早く答えを見いだす」ことよりも、「問いを手放さない」ことだと思います。11対1という状況では、たいてい「もういいか」と諦めてしまうものです。しかし、11人が同じ答えを出していても、一人の疑問から話し合いは始まります。
民主主義とは、多数決によって早く決めることではなく、その一人の疑問を、まだ聞くことのできる場にしてくれる、そういうものではないでしょうか。そして教会も、世が耳を傾けなかった声を、まだ聞くことのできる場でありたいものです。