あの人とは違う

有賀 豊彦

確かに、私はあの人とは違う。その違いによって、あの人は投獄された。「私」は、あの人とは違ったから、投獄される事の無かった事に安堵した。
別の人が投獄された。私は、あの人とは「違った」ので、投獄されなかった事に安堵した。
私は、自分が投獄されなかった事への安堵に浸り、投獄された人々と、その家族の悲しみに思いを寄せる事が出来ず、投獄された人々の「隣人」になる事を忘れていた。
突然、私の番が来た。私を投獄するべく、私のもとに権力と暴力をたずさえた、使者がやってきた。
私は、私のために反論した。あなた達の言うような「意図」は私には無かったし、そのことを私の家族だけでなく、多くの知り合い・友人・関係者が「私」の事について〈証〉をしてくれるはずだ!
私は投獄された。私の家族の証言は、身内が言うことだからと、却下された。
家族以外誰も、私を守る証言をしてくれ無かった。思い出してみよう。私は、証言を求められた時、隣人がいくばくかでも、有利になるように、証言を重ねてきただろうか?否!証言を求められて、証言をするまでもなく、「あの人との事は、何も知らない」と、証言の場にも立たず、関係を切った!私が切った!
別の人の時も、挨拶を交わす程度くらいで、よくは知りませんと、切った。私は切った!
私が切ってきたように、今度は「私」が切られる立場になっただけだ。
自分を愛するように、隣人を愛しなさい。
私は、何だろう?私は、誰だろう?「違い」とは、何だろう?「互いに愛し合う」とは、何だろう?かの日、ドイツで虐殺された歴史を持つ〈ユダヤ人〉が、現在パレスチナの人々を殺し続けているのは、何でだろう?世界中で、起きている戦争や紛争や虐殺に、私が耳を傾けず、どこかの遠くの国で起きている事で、自分とは直接関係は無いと、思えてしまっているのは、何でだろう?
~2026有賀豊彦兄facebook投稿文~

補足 ドイツの元海軍軍人・神学者だったマルティン・ニーメラー牧師(1892-1984)の言葉。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

▽ 第二大戦下における日本基督教団の責任についての告白
わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及 び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。
まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。
1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長  鈴木正久

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