涙の理由(わけ)

孫裕久

娘は映画の感想を語る前に、私に釘を刺しました。私が観れば間違いなく「一週一言」に書くであろうと思ったのでしょう。「あくまでもそれは個人の感想であって、それがあたかも客観的な作品紹介であるかのように語らないでほしい」と、まあ、そういう趣旨であったように思います。
数日後、次は妻が映画を観て、娘と楽しそうに感想を語り合っていました。私から見て、二人に共通したのは、「泣いた」でした。
そして、さらに数日後、仕方ないので私も観に行きました。しかし、予想どおり上映開始後、一時間たっても涙は流れません。つまらないという意味ではなく、私が泣く映画ではありませんでした。 しかし、妻と娘が泣いたであろう場面は十分過ぎるほど分かりました。「ここか〜、ここで泣いたんか」「ここね〜」「ここもやわ・・」そんな場面が何度か続きました。
娘たちは自分の意思で朝鮮学校に入学したわけではありません。韓国で生まれ育った妻も最初は反対しました。ただ私の思いとして、「在日」との和解と共生をめざす教会に勤める牧師の良心と都合が、娘たちを朝鮮学校に入学させたのです。
そんな私が映画「トロフィー」を観ながら「ここで泣かれたか」と、妻と娘の涙に触れたとき、思わず涙を漏らしました。映画に泣いたのではありません。その一つ一つの場面に泣いている妻と娘の姿が瞼に映り「二人を泣かせたのは・・・」と思うと辛くて、申し訳なくて、涙が止まらなかったのです。
釘を刺された手前、映画の内容にあれこれと触れるのは控えましょう。ただラストは素直に泣きました。朝鮮舞踊を舞う生徒たちの姿が娘と重なったのです。そのとき、私は「その一言」を、心で囁いていました。それと同時に「そうか、娘はこの一言を一週一言に書くなと釘を刺したのか」と思いました
しかし、ここまで語ってしまった以上、仕方ありません。あくまでも妻と娘を泣かせた私個人の身勝手な思いとして・・・。
「ああ、朝鮮学校に入れて良かった」と。

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