自然との対話

孫裕久
蒸し暑い夏の夜。時折、窓から吹き込んでくる涼しい風が何とも心地よい。しかし、その風がいつも入ってくるわけではない。入ってきたり、入ってこなかったり。それでも、ふっと風が入ってきた瞬間、不思議とエアコンでは味わえない涼しさがそこにあった。
もちろん、エアコンを悪く言うつもりはない。エアコンはいつでも涼しい風を送り出し、部屋全体を心地よい温度に保ってくれる。しかし人間は文明の力によって、いつの間にか自然の声を聞かなくなった、否、聞かなくても生活できるようになったのではないだろうか。
電灯があるから、日が暮れる時刻を気にしなくてよい。スーパーやハウス栽培があるから、「今は何が採れる季節なのか」を知らなくても食卓は成り立つ。飛行機や鉄道があるから、山や海が行く手を阻むことを意識しなくてよくなった。
人間は文明によって、自然に左右されずに生きられる領域を広げてきた。それは大きな恩恵である。しかしその一方で、自然を見たり、待ったり、それに合わせたりする必要もなくなってきた。自然との対話とは、自然を美化することではなく、自分たちの都合だけでは生きられないことを知ることなのではないか。
近年、40℃を超える日が毎年のように観測されるようになり、今年から「酷暑日」という言葉まで必要になった。これは対話を無視されている自然の抗議なのかもしれない。
人類の歴史は、およそ30万年前まで遡るという。その長い時間、人間は風を受け、雨を待ち、日の暮れるのを見ながら生きてきた。文明は大きく変わった。しかし、今夜、窓から吹き込んできたこの涼しい風は、30万年前の人々が感じていた風と、そう変わらないのだろう。変わったのは、風を待たなくてもよくなった私たちの方なのだ。
自然の声を聞かなくてもよいと思ってきた私たちは、いま改めて、自然の声に耳を傾けることを迫られている。そんな私たちに主イエスは言われたのかもしれない。「空の鳥をよく見なさい……。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」と。

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