イエスの終末 ーマタイ福音書 24:1~16ー

弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」(マタイ24.3)

これはイエスの神殿崩壊預言に対する弟子たちの質問です。ここには、備えとしてその前兆を知りたいとする弟子たちの願望が伺えます。しかしイエスは弟子の質問に対して「惑わされるな」と警告します。

俗に終末論とは世の終わりを説き、救われたくばと態度決定を迫ります。またその終わりの時から現在を逆算して残りの時間をどう生きるかを思考させます。

これに対してイエスは、惑わされるなと警告するのです。

「そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる」(24.10)

「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(24.12)

そして、「しかし、最後まで耐え忍ぶものは救われる」(24.13)と結んでいます。

イエスにとって終末とは「世の終わり」そのものではなく、終わりが迫ろうとする時に起こる、人間の心が悪に支配される事への警告であり、大切なのはそれに耐え忍ぶことです。

例えば「明日この世が終わるとしたら、あなたは・・」という話題に人は残された時間内で何を優先し何を満足させようかと談笑します。しかしイエスの言いたいことは、たとえ明日この世が終わるとしても、だからと言って惑わされるな、悪に心を開き渡すな、そして諦めるなと言うことでしょう。

時に「もう終わりだ・・・」と全てを投げ出したくなる時もあるでしょう。しかし主イエスの終末論はまさにその時「投げ出すな」と囁いています。故に私は主イエスを信じ、何事も諦めずに歩んで参りたいと思います。

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