何かを断つ

受難節(レント)の期間、キリスト者は「何かを断つ」という伝統的な習慣があります。食事や娯楽を控える人もいれば、悪しき習慣を見直す人もいるでしょう。しかし、そもそもその目的は何でしょうか? 人は日々、さまざまなものに依存し…

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沈黙の誓い

言葉は人を喜ばせたり力を与えたりもしますが、軽はずみな発言が相手の心に痛みを与えることもあります。人は言葉によって関係を築きますが、同時に言葉は刃にもなり得ます。 「沈黙の誓い」とは、修道士や信仰者が一定期間、または生涯…

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良いの悪いの

先週の衆院予算委員会で、予算委員長が質問時間を超過した議員に対し、「ルールを守りなさい!」と一喝する場面がありました。議員は社会保険料の負担軽減について質問していましたが、時間を過ぎても予算委員長の再三の制止を振り切り、…

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共に生きる終末

マタイ福音書24章から、しばらく終末についての教えについて学んでまいりました。初期のキリスト者たちは主の再臨を待ち望んでいましたが、その遅れによって、彼らの生き方に変化が生じました。それは隣人との関係です。マタイ福音書の…

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終末を生きる

終末論とは最終的にどうなるのか?それを歴史からひも解く作業といえます。即ち、歴史には始めがあり、終りがあり、そしてそこには目的がある、とする考え方です。キリスト教の場合、その目的とは神のみ心であって、それは人類の救済と和…

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生きている法律

さいたま市に住むトルコの少数民族・クルド人、小学6年生の女子児童が在留資格を失ったことで公立小学校から除籍されました。 出入国管理法(入管法)は、在留資格を失った者に日本からの出国を命じています。故に教育委員会は、当該女…

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川崎宿

先週、連れ合いと東海道かわさき宿交流館を訪ねました。この施設には、東海道川崎宿に関する歴史や文化が展示されています。 交流館は旧東海道沿いに建てられ正面から入って1階には川崎宿の茶屋として有名な「万年屋」が再現されていま…

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影を愛して

河口湖から臨む富士山は真南にそびえ立ち、東側の左半分が朝日に照り輝いていた。2024年大晦日の朝、ホテルの食堂から臨んだその光景は私に何かを語りかけてきた。 その日、随分久しぶりの家族旅行を河口湖で過ごしていた。富士山を…

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