寛容が肝要

先週、「不適切にもほどがある!」というコメディードラマが最終回を迎えました。ドラマではタイムマシーンで昭和と令和の人間が出会い、双方の常識の違いにスポットが当てられています。令和から見た昭和、昭和から見た令和、どちらが正しいという訳ではなくお互いの常識が如何に非常識であるかが令和と昭和の人間の出会いによって浮き彫りにされます。
ドラマの終盤で毎回の主張点をミュージカル形式でまとめるのですが、最終回のそれに至極納得してしまいました。「♪〜ちょっとのズレなら、グットこらえて寛容になりましょう。寛容は肝要〜♫」
平等な社会を作り上げていくためには妥協はゆるされません。しかし現代はコンプライアンス(企業や個人が法令や社会的ルールを守ること)が厳しくなり過ぎ、それにばかり気を奪われ人と人が自然に関係を育みにくい世の中になっています。
寛容とは「心が寛大で、よく人を受けいれること。過失をとがめだてせず、人を許すこと」と辞書にありました。時には、ちょっとズレなら、グットこらえて寛容であることが、近道かもしれません。裁いて明らかにして学ぶこともあれば、許し許されて学ぶこともあります。
キリスト者とは、神の寛容によって生かされているとも言えるでしょう。

孫 裕久

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