己を疑い且つ信じる

イエスが弟子に「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」(マタイ16:6)と言ったのは、彼らの教えに注意せよ(16:12)、という意味でした。
もともと彼らはローマ帝国に対する政治的な態度の違いで対立していましたが、イエスを排除する点で利害の一致をみました。すなわち彼らの教えとは利害であります。
この利害に対してイエスの教えは御心です。そしてその御心は総じて人間の利害と対立します。御心は99匹の利害ではなく、失われようとする1匹に寄り添います。言い換えるなら、1匹を見捨てないことが、99匹の利害に対立するのです。
人間は生きる限り、この世に立ち位置があります。99匹の側に立つ時もあれば1匹になる時もあり、また羊飼いになる時もあります。その立ち位置で見える景色は異なり判断基準も変わります。キリスト者は常に自分の立ち位置を確認しなければなりません。自分の立ち位置に無自覚であると、それは御心と思いながらも実は利害であるかもしれないのです。故にキリスト者は、よくよく自分の立ち位置を見定め、事あるごとに自分の常識を疑い、たとえ全てから否定されても自分だけは自分を信じてあげなければならぬ時があるのです。イエスの教え、御心を求めるが故に・・・

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