タムパ

最近TVドラマで「タムパ」という言葉を覚えました。タムパとはインターネットの用語集によると「タイムパフォーマンス略。費やした時間に対する満足度を表す言葉。費用対効果を指すコスパ(コストパフォーマンス)の時間版」とありました。
数式にすると「タムパ=満足÷時間」となり、具体例では120分の映画を観て得られる満足を倍速(60分)で視聴することでタムパが向上します。タムパは一つの満足を出来るだけ短時間で得ることを追求します。満足の追求は文明の発達の一翼を担ってきました。しかしタムパはそのパフォーマンスの障害、即ち「無駄」に対する拒否反応が著しく、最近それが人間関係に負の影響を及ぼしているように感じます。
確かに無駄は避けるべきです。しかしタムパを優先するあまり無駄を削ぎ落とすことに心が囚われてしまうと、大切なものを見落としたり、人との関係もタムパによって決定されたりするのではと危惧します。
今年の世界祈祷日(3/1)の聖句は「愛をもって互いに忍耐しなさい(エフェソ4.2)」です。忍耐はパウロが好んで用いる用語ですが、これは暴力や抑圧に対する忍耐ではありません。民族や文化の異なる異質な者同士の出会いによって生じた個々の不満足に対して「互いに忍耐しなさい」と勧めています。更にパウロはこれに「愛をもって」を付け加えていますが、パウロにとって忍耐は愛と同義語であり、また愛はキリストと同義語です。即ちこれを意訳するなら、それぞれ不満足があるかも知れないが、「キリストにならって互いに忍耐しなさい、互いに愛し合いなさい」ということでしょう。
私はタムパを否定しているのではありません。テレビを観ながら筋トレするものタムパです。しかしタムパも過剰になれば無駄を省くだけに留まらず無駄を敵視するようになり自己のタムパ向上の邪魔になる存在を否定することに繋がりかねません。
「時間は有限であるが、その時間の使い方や選択は無限である。型にはまらぬように」2/20東京新聞(運勢)欄より

孫 裕久

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