信教の自由を守る日

ローマ帝国の時代にキリスト教徒は迫害されていました。最初期のキリスト者は信仰を守るために文字通り命がけであったわけです。そういう時代に比べると現代の日本では信教の自由は保証されています。では何故、建国記念日を「信教の自由を守る日」として覚えているのか。端的にいえば、天皇制に抗っているわけです。
2/11を建国記念日(1966年制定)とする起源は「紀元節」に遡ります。古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日、紀元前660年1月1日 (旧暦)を新暦に換算した2月11日を1873年(明治6年)に祝祭日に定めました。
これは天皇制軍国主義・国家神道体制の中心的祭日でした。学校では日の丸掲揚、君が代斉唱教育勅語等が説かれました。そのような状況下で、キリスト教会も信教の自由を圧迫され、迫害される被害者でしたが、やがて戦争に組み込まれ加担し加害者になっていったのでした。
今日も靖国神社法案、首相等の靖国神社参拝、君が代・日の丸の強制など、天皇制による支配体制を維持強化する危険な状況にあります。
平和を願う人々やキリスト教会は自らの戦前の悔い改めと共に抗議の意味をこめて、2月11日を「建国記念の日」ではなく、「信教の自由を守る日」として今日に至っています。

「終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。」
「教団戦責告白」より

孫 裕久

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