見えない言葉

昨日(3/9)、昨年天に召された飯塚光喜牧師のお別れの会が紅葉坂教会でもたれました。飯塚牧師は1930年福島県会津に生まれ、1952年職場の事故で薬品を被り両目を失明しました。私は飯塚牧師と個人的なお付き合いはありませんでしたが、常にその存在に問われていたように思います。
飯塚牧師とお会いするのは教区総会や教区の諸集会でした。人が集う場では当然知り合いと挨拶を交わします。それは互いに相手を認識し近寄って握手したり、また遠目で目と目が合ってその場で会釈したりします。時には目を合わせたくない人もいて、そういう時は上手に避けたりします。人はそういうことをごく自然に無意識にしているのですが、それを意識化してくれたのが飯塚牧師の存在でした。
「飯塚先生、こんにちは、孫です」こういう挨拶を覚えたのは飯塚牧師によるものでした。「障がい者と教会の集い」を欠席した年は挨拶がしづらく、飯塚牧師を避けるのは簡単なのですが、簡単なだけに避けることが出来ず挨拶すると、やはり「こないだの障がい者と教会の集い来なかったね」と言われバツ悪そうに苦笑いを返したこともありました。
今、彼以外の人全員が、当然共有している「見える」ことによる情報と光景。彼一人がそれを共有していない、その当然を気づかせてくれたのが飯塚牧師の存在でした。更に、あの黒いサングラスの奥から見えていないが故に見えている何かが確かにあって、しかしそれが見えている人には見えないのです。だから時に彼しか見えない言葉は見える人には厳しく響いたのでしょう。本当に優しい人ではありましたが、確かに厳しい人でした。
享年92、あなたにしか見えていなかったその言葉を少しずつ辿って参りたいと思います。主の御もとで安らかにお過ごし下さい。

孫 裕久

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