「和解」マカバイ記一 10章

アレキサンドロス・エピファネスの出現は、シリア王デメトリオスの脅威となった。そこでデメトリオスはこれまで戦闘を重ねてきたマカバイ一族との和解に乗り出した。もし、マカバイ一族とアレキサンドロスが手を結めば前後からのハサミ打ちを受けるからである。

しかし一方、アレキサンドロスはデメトリオスの予想通りマカバイ一族に接近した。その情報を知ったデメトリオスはなりふり構わずマカバイ一族の指導者ヨナタンに貢物を送り、また租税、就活、神殿税に関わる様々な優遇措置を施し和解交渉を進めた。

戦国時代の和解とは、かくも節操なきものでしょうか。しかし良く見ればそれは戦国時代に限らず、古今東西、永田町も寸分変わらぬ始末ではないでしょうか。最早和解は道具であり、道具である限りは必要に応じて取捨するものです。

さて、しかしながら私たちは戦人や政治家を避難できるでしょうか?共通の敵や非難すべき存在が、犬猿の中に和解がもたらされるという事はないでしょうか。私は何度も見聞きしましたし、何より私自身が経験してきました。人間の和解は一時的な共闘であり、利害の一致がもたらす道具に過ぎません。

しかし本来和解とは、和解そのものが目的であらねばならず、キリスト者にとって、それは同時に神のみ心であります。共通の敵や利害の一致がもたらす和解は見せかけで、傍から見いて真に醜く、その終焉は酷いものです。

結局、和解交渉に失敗したデメトリオスはアレキサンドロスとの戦で命を落としました。

和解は道具ではなく、神の望むところであり、人間の目的である事を心に銘じて参りましょう。

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