ヨブの叫び

ヨブ記 21:1-34

「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことが私の慰めなのだ」
(ヨブ21.1)

箴言に代表される知恵文学の教えは、善人は栄え悪人は滅びる。しかし現実的には全てがそうではなく、寧ろ悪人はその悪の故に栄え、善人はその正しさの故に苦しんでいる。しかしヨブが主張する結論はそこではない。
ヨブの友人らは箴言の教えを優先しヨブが不幸に陥っているのはヨブが犯した何らかの罪の報いであると結論づけている。故にヨブの言葉に全く耳を傾けず、善意からヨブに悔い改めを迫る。ヨブはそれが我慢ならない。故にとにかく「わたしの言葉を聞いてくれ」と願うのである。
教えから事実を分析するのは間違いではないが、教えに矛盾が生じないように無理な解釈をしたり、事実を直視しないのは誤りである。これは特に宗教が陥りやすい落とし穴でもある。
今年も8月を迎えた。この8月を迎えるたびに争いと平和について考える。それは身近なもめ事から戦争に至るまで。ヨブの声に耳を傾ける時、古今東西争いの根には相手の言葉を聞かないという問題がある。それは意外と信念や信仰などを持つ者に顕著かもしれない。正しさが雄弁にする代わり聞こえなくしている。
今年の8月は叫ぶ以上に聞く耳を取り戻したい。そこから和解と平和の道が拓かれることを信じて。

▽     第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白

わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。

まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。

明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。

わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。

まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。

心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長  鈴木正久

 

孫裕久

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