罪を赦す神

マタイ福音書9:1-8

イエスの時代、重い病は罪を犯した神の裁きと考えられていました。故に病は祭祀が執り成しの祈りを捧げ、神から罪の赦しを得て治癒します。しかし現実的に病を治せるのは医者です。しかし罪の結果の病であるとする原則を守るためには、罪が赦されて癒やされるという医療手順を(見かけ上)守らなければなりませんでした。よって医者の医療行為はあくまで補助手段であって最終的に病を治すのは(完治を宣言するのは)神に執り成す祭祀でした。
イエスが「あなたの罪は赦される」という言葉を神への冒涜だと思った人々に対して、どちらが易しいかと問い返したのは、現実的になされている罪の赦しがまやかしであるとの批判が込められています。罪の結果の病であるなら、先ず罪赦されてその結果癒やされるべきであります。イエスは本来あるべき手順通りに罪の赦しを宣言し「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と命令しました。本来なら医者によって治癒した病人は一旦祭祀の元に行かねばなりません。しかし既にイエスによって罪赦された彼らは家(ホーム)へと帰されます。イエスにとって罪の赦しは罪人を交わりの中へ帰していくことでした。「この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1.21b)
イエス・キリストの神は罪を赦す神です。それは裁く神ではなく、むしろ人々に裁かれ排除された罪人を交わりの中に帰していく神なのです。そして教会は赦された罪人が共に生きる家(ホーム)なのです。

孫 裕久

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