法律第百五十六号(昭二三・七・一三)
◎優生保護法
(この法律の目的)
第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
(強制優生手術の審査の申請)
第四条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹っていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。
旧優生保護法は、1948年に制定され、48年間施行されました。この法律はハンセン病や精神障害などを理由に、本人の同意なく強制的に不妊手術を行うことを認めました。
冒頭の条文によれば、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とされ、優生手術は「公益上必要」と認識されていたようです。
「優生上の見地から」とは優生思想というものが背後にあって、優良なものを保護する(目的)ために悪質なものを排除する(手段)という考えに基づいています。今日このような考えは国際的及び人権的に否定されています。更に「公益上必要」とある公益とは何でしょうか。障害者の存在が公益上、否自分にとって不利益という意味以外に解することは出来ません。
以上には誤った自覚と身勝手な無自覚があると思います。悪質なものを排除することが優良なものを保護するという誤った自覚。そして当事者ではなく自分にとって不利益な存在として排除している身勝手な無自覚。人間とは須らくこの誤った自覚と身勝手な無自覚が備わっており、それらの指摘を受け止めることに不慣れで脆い存在です。
イエスが戦ったのは罪人を排除してユダヤ人の優良性を保護しようとした優良思想そのものではなかったでしょうか。そしてイエスがその戦いで用いた手段は、排除された罪人の友となりそこで救いを解くことでした。そしてイエスは、誤った自覚と身勝手な無自覚に殺されたのです。