四度目のどうぞ

先日、電車で青年が老人に席を譲る光景を見た。老人は「次の駅で降りるので」と遠慮したが、青年は「どうぞ」と何度も勧めた。このやりとりが四度も繰り返され、ようやく老人は席に座った。これを見て、私は「譲る難しさ」もあれば「譲られる難しさ」もあると感じた。
近年、電車で席を譲ることが、難しくなっているように思う。若者が高齢者に席を譲ろうとしても「ありがた迷惑で、断られたらどうしよう」と不安になり、ためらうことも多い。しかし、その難しさを生み出している要因に、譲られる側の遠慮、あるいは譲られ方の下手さも一因ではないかと思う。
「譲ること」と「譲られること」は一方通行ではなく、人と人との関係性の中で成り立っている。そしてその関係が難しくなっているということだ。譲る側は「ありがた迷惑」を恐れるあまり、相手に配慮すること自体をためらってしまうことがある。私自身も「余計なお世話ではないか?」と気にするタイプだ。だから普通、三度断られたら身を引くべきと考えてしまう。しかし人間関係とは本来、迷惑をかけたり、かけられたりしながら育まれていくものではないだろうか。もし、「ありがた迷惑」を恐れるあまり、人に対する優しさすら控えてしまうとしたら、それはとても寂しいことだ
「譲る難しさ」もあれば「譲られる難しさ」もある。それが関係を難しくしているとするなら、お互い少し間合いを詰めてみてはどうだろう。譲られる側にもう少し譲られ上手になれとは言いづらいが、譲る側は「ありがた迷惑」を恐れず、あの青年のように四度目の「どうぞ」があっても良いのかもしれない。関係の難しさを、少しでもやさしくしていくために。

孫 裕久

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