陶芸教室で・・・

今月は妻と陶芸教室に参加しました。日暮里駅を降りて、昭和の香り漂う谷中銀座を抜けた先に、陶芸教室Cactus(カクタス)はあります。
62歳、人生初の轆轤(ろくろ)体験でした。30分程講習を受け、意気揚々と挑んだものの、目的のコーヒーカップはいびつなビールジョッキに仕上がりました。
手に力を加え、目で確かめ、頭で考え、また手を動かす。目に映る変化に一喜一憂しながら、ひたすらそれを繰り返しました。初めてだから仕方ない、そう言い聞かせながらも、思い通りにいかないもどかしさは拭えません。
何度も失敗を繰り返すうちに、そこには、自分だけではどうにもならない力の存在に気付かされます。轆轤の回転、土の硬さ、水分の加減。それらは私の意志とは別に存在し、私はただ、「手」を通して、その世界に触れている(参加している)に過ぎないのだと。その時、轆轤も土も水も、私の手も、そして自分の意図と、その意図に従わず形を崩していく様子全てが「人生」に重なって見えたのです。
自分の意図と努力だけで、すべてを動かせるわけではない。轆轤の速さ、土の気質、周囲の環境。それらを知り、呼吸を合わせなければ、うまく形にはならない。崩れる土を誰のせいにもできず、それでも不満を抱えてしまう自分がそこにいます。
私は先ず、意図してもその通りにはならない、この現実を受け入れなければならない。それでも形になったものは、誰のせいでもなく確かに自分の力の結果なのだということも含めて。土や轆轤という「他の力たち」と向き合い、対話し理解し共存してこそ、思い描いた形に近づけるのでしょう。人生もまた然り。
陶芸教室で・・・人生教育を受けたというお話です。

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