メーリークリスマス

キリスト者でなくても、クリスマスが近づくと「メリークリスマス」と挨拶が交わされる。多くの場合、それは家族や友だちに向けた「楽しいひとときを」という祝福の言葉であり、冬の一大イベントとしてのイルミネーションや祝祭と結びついた、文化的な挨拶でもある。
しかし中には、キリスト教徒でなくても、「平和がありますように」という願いを込めて、「メリークリスマス」と言う人も少なくないという。特に欧米では、この季節に交わされる「メリークリスマス」が、「この時に平和がありますように」という祈りに近い意味合いで用いられることもあると聞く。そこでは、教理よりも、人と人とを結びつける挨拶としてこの言葉が生きている。
クリスマスのイルミネーションを見るたびに、キリスト教徒ではない人たちのクリスマスと、自分のクリスマスは、いったい何がどう違うのだろうか、と考えてします。もちろん、「彼らのクリスマスは偽物で、こちらが本物だ」などと言いたいわけではない。そもそも世の中の多くの文化行事は、もともと特定の宗教と結びつきながら、やがて宗教を越えて共有されてきたものでもある。
キリスト教徒でなくても、「平和がありますように」という思いを込めて「メリークリスマス」と挨拶を交わす。そのこと自体に、私は素直に「いいな」と思う。大切なのは、クリスマスがキリストの誕生日であることを知っているかどうかよりも、家族や友だちを思う気持ちや、平和への願いが、からし種ひとつぶ程でも、そこに宿っていることではないだろうか。
むしろ、クリスマスを「伝道の機会」として使おうとすることのほうが、どこかずれているようにも感じる。キリスト教徒であるか否かにかかわらず、宗教を越え、民族を越え、国境を越えて、「メリークリスマス」と挨拶を交わす。その広がりの中にこそ、クリスマスの光は静かに灯っているのかもしれない。
今年もまた、そうした思いを込めて、この言葉を交わしたい。メリークリスマス。

かきね越え
国をも越えて 声かけ合う
メリークリスマス
平和を願い

孫 裕久

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