神と共にあれ

ヨブ記23章

それゆえ、わたしは御顔におびえ/考えれば考えるほど、恐れる。
神はわたしの勇気を失わせ/全能者はわたしをおびえさせる。
わたしは暗黒を前にし/目の前には闇が立ちこめているのに/なぜ、滅ぼし尽くされずにいるのか。(ヨブ記23:15-17)
もはやヨブの関心は友人らとの虚しい議論ではない。ヨブは今神の不在におびえ恐れている。今のヨブは神を疑わない。しかし肝心の神が姿を現さないのでヨブは成す術がない。
マルタはイエスに言った。「主よもしここにいて下さいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」(ヨハネ福音書11:21)正にヨブはマルタの心境である。信仰は「神は在る」という前提に生きている。故に神が不在の時、否、神を見失った時、信仰者はおびえ恐れるのだ。
時に信仰者は神を見失う。「もしかしたら神はいないのでは?」という疑問、それが例えパン種ほどの疑問であっても、その瞬間信仰者は闇におびえ恐れるのだ。それはキリスト教信仰がインマヌエル「神はわれわれと共に在る」を大前提にしているからである。神を見失ってこの信仰は成立しない。故にその肝心の「神が共にいて下さるから」の部分が揺らぐと、わたしたちもヨブと等しく闇に飲まれてしまうのである。
キリスト者は神が共におられ、その神と共にこの地上を旅する神の民である。インマヌエルなしにこの旅を続けることは出来ない。故に我らキリスト者は週の初め、礼拝を終えて日常に旅立つ時、祈り込めて互いにこの言葉をかけ合いましょう。
「神と共にあれ」

孫 裕久

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