平和が選ぶ場所

昨夜、久しぶりに家族全員で夕食を囲んだ。その時のことである、
7時のニュースで「トランプ氏がフロリダにゼレンスキー氏を迎え、アメリカが仲介する和平案などについて会談する」と報じられた。私は思わず「なんでフロリダなんや?」とつぶやいた。しかし、家族団欒の食卓にふさわしくない、そんなつぶやきは見事に放置され、娘たちはフロリダのディズニーランドの話題で盛り上がった。
調べてみると、フロリダにはトランプ氏の私邸兼リゾートがあり、なにより彼の支持者が多いとのこと。彼にとって「地の利」がある場所なのだろう。ニュースはさらに、「トランプ氏はゼレンスキー氏について『私が承認するまで、彼の手元には何もない』と語った」と続けた。まるで自らが戦争終結の鍵を握る救世主であるかのような言動が気に食わない。
ルカ福音書は、ローマ帝国が自らの支配と平和の維持のために人口調査を命じたその時、家畜小屋で幼子が生まれた出来事を報じている。そこに描かれているのは、「力によって保たれる平和」の舞台裏で、犠牲を強いられる人々の姿であった。物語は、その舞台設定の中で、救い主がどこに、どのように現れるのかに焦点を当てている。
神は帝国の表舞台に立ち、天軍を率いてローマを滅ぼす「力の救世主」として登場したのではなかった。主なる神は、居場所のなかった夫婦、誰も気づかない片隅、幼子が置かれた飼い葉桶、そこを、救い主誕生の場として選ばれたのである。
言い換えるなら、表舞台から押し出された「居場所なき者たち」の只中に、神ご自身が居場所を求められたということだ。
「真の平和の主は、場所を選ばれるのだ」と、次は心の中で静かにつぶやいた。

孫 裕久

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