言葉の意味に迫る
毎週木曜日、横浜YMCA専門学校で、外国人留学生たちに聖書を教えていますが、時々、日本語の講義になることがあります。できるだけ平易な日本語を使っているつもりでも、日本語教科書に載っていない少々マニアックな言葉をつい使って…
続きを読む →毎週木曜日、横浜YMCA専門学校で、外国人留学生たちに聖書を教えていますが、時々、日本語の講義になることがあります。できるだけ平易な日本語を使っているつもりでも、日本語教科書に載っていない少々マニアックな言葉をつい使って…
続きを読む →先週の水曜日、ゴミを捨てに行った時のこと。ゴミ捨て場に、花が咲いていた。それを見て、何となく場と合っていないように感じた。 きっと、公園の片隅に咲いていたなら、気づくこともなかったかもしれない。しかし、それがゴミ捨て場で…
続きを読む →神奈川教区形成基本方針の前文の一節に、「教区内に相違や対立がある現実を率直に認める」とあります。 確かに、誰の目にもそこに相違や対立があることは否めません。しかし、この「認める」とは、単にそうした事実を承認することではな…
続きを読む →その日は駅前のフリースペースでパソコンを開いていた。自然の風と人の流れの中で、不思議と着想が得られる。イヤホンを取り出すと、もつれていた。 誰もが経験するが、細い糸状のものはすぐもつれる。特に、ほどこうと焦るほど絡まりは…
続きを読む →聖書を読めば一目瞭然、対立と分裂は原始キリスト教の時代からすでに存在し、今日も繰り返されています。パウロは、その解決策として「霊による一致」を説きました。 人は、共同体の一致に条件を持ち込みます。その象徴が律法であり、教…
続きを読む →カルメル山での預言者エリヤとバアルの預言者たちとの対決は、旧約聖書の預言を代表する事件です(列王記上18章)。 この物語の本質は、民に「あなたは何を信じて生きているのか」と自覚を迫るところにあります。彼らは口では主なる神…
続きを読む →剣道を再開して一年半。再開当初に比べれば成長を感じ、周囲からも「上達しましたね」と声をかけられるようになった。しかし、高段者と比べると、やはり根本的に何かが欠けている。先生方からは「溜めが足りない、攻めが弱い、中心を取れ…
続きを読む →人は自分の立ち位置によって見え方が変わる。99匹の羊の側に立つと、「なぜあの一匹のために、私たちは置いていかれたのか」と不満を口にする。「数の上で圧倒的に重要である我々が、なぜ列から離れたあの1匹のために迷惑をこうむらな…
続きを読む →例えば、生徒たちが学級会で遠足の行き先を話し合い、多数決で決めようとしていたとしましょう。それは単に行き先を決めるだけでなく、民主的な作業とルールを学ぶ場でもあります。ところが、ある強面の生徒が「面倒だから今日は俺が決め…
続きを読む →激しい雨の帰り道、川崎駅に到着した。さて家に戻っても、今日は誰もいない。妻は韓国に帰省中。次女は就職してひとり暮らし。長女は仕事帰りに映画鑑賞。考えているうちに、立ち飲み屋ののれんをくぐっていた。 その店の女将は、なぜか…
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