方法

人は「正しさ」を求める。国家も宗教も「われわれが正しい」と言い、個人もまた「私が正しい」と言う。もちろん、正しさそのものが悪いわけではない。 預言者アモスは「正義を洪水のように、恵みの業を絶えず流れる川のようにせよ」と言…

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死者の沈黙の前で

孫裕久 「死者に鞭打つ」という言葉がある。すでに亡くなり、語ることも、弁明することもできない人を、なお責め立てることをいう。 もちろん、事故によって命が失われた以上、事実の検証は必要である。なぜ事故が起こったのか、安全管…

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言葉の背景

孫裕久 最近、留学生たちへの講義に、若干の行き詰まりを覚えている。得意の話でも、なんとなく食いつきのが悪い時がある。例えば先週、野球のたとえ話をした。戸塚のスポーツ専門学校ではいつも大受けするのであるが、伝わっている手応…

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讃美歌の話

木村努 「ガリラヤの風かおる丘で」 旧讃美歌から21に変わった当初、歌詞が誤植された。「弟子たちをさとされた」が「弟子たちにさとされた」になっている。これではイエスが弟子たちから諭されることになってしまう。何故、誤植され…

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母の記憶

孫裕久 母を思うとき、記憶をたどってみても、その人となりを言葉で説明できるほど、私はそれほど母を知っていないことに気づく。私は母が「自分は〜をしたい」など、自分自身のための意見や考えを述べた場面を知らない。そこには父の影…

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恐れを超えた先に

「死にはしない。片手一本くれてやれ。その代わり、相手の面を叩き切ればいい」 冒頭から物騒な言葉ですが、これは先週の稽古で、先生から受けた指導です。剣道は、背が高いほうが有利と思われがちです。確かにそういう一面がないわけで…

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自由

孫 裕久 先週に続いて、YMCA留学生との対話の中で考えさせられた。彼らの多くは、日本を「自由な国」と評している。日常が安全で、夢を持って自分の進みたい道を歩むことができる。しかしそれは決してやりたい放題という意味ではな…

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礼儀

孫 裕久 「トイレをお借りします、という意味が理解できません」と話し始めましたのは、スリランカから来た留学生です。スリランカでは友だちの家で、いちいち断りを入れることはないとのこと。見たい本があれば勝手に読むし、そこにお…

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真理と向き合う

受難週の早天祈祷会で、ヨハネ福音書17章から19章までを読みました。第4日(18:15-19:16)。捕らえられたイエスが大祭司のもと、さらに総督ピラトのもとで取り調べを受ける様子が描かれています。しかし、裁かれているの…

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