政治家と政治屋

先日、駅前でランチをしていたとき、隣の席の八十代ほどの二人の会話が耳に入ってきました。昨今の日中関係に触れて、「哲学のない者が政治をしてはいけない。あれでは政治家ではなく、政治屋だ」と嘆いていました。私は思わず食事の手を止めて、その言葉の意味を調べてみると、政治家とは理念に立ち、長い目で物事を判断する人を指し、政治屋とは利益や人気を優先して動く人のことらしく、なるほどと思わされました。
台湾は日清戦争で、日本の統治下に置かれ、その50年間が中国にとっては「国が奪われた時代」の象徴として記憶されています。戦後、日本は講和条約で台湾の主権を放棄しました。しかし中国が内戦で分裂し、どちらを正統政府と認めるか国際社会が決められなかったため返還先を明示できず、台湾の法的地位は宙づりのまま残りました。これは歴史の未整理とその後の冷戦が絡み合い、今日の複雑さを生み出しています。そして、ここに外交の難しさがあります。
日本の政治家が台湾について発言するとき、中国側には過去の植民地支配の記憶が呼び起こされ、「台湾を奪った当事国が、再び口を出すのか」という感情が働きます。そのため、日本側が合理的に安全保障を語っているつもりでも、相手には不信や挑発と映ります。感情の地雷に足を踏み入れてしまうと、外交関係は緊張を強め、足元を救われかねません。
政治とは、正論を大声で唱えることではなく、対立や誤解を生まないように言葉を選び、歩き方を工夫する営みだと思います。理念や哲学を持つ政治家ならば、歴史の痛みに触れないよう細心の注意を払い、国家間の橋を壊さずに渡る道を探るはずです。その慎み深さは、政治の世界に限らず、私たちの日々の言葉や態度にも求められる知恵なのかもしれません。

孫 裕久

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