世界は今、彼に振り回されています。引用する気にもなれないほど身勝手な彼の言葉に、腸が煮えくり返る思いです。さらに、彼の一挙手一投足に合わせて態度を変える国々の姿も、見るに堪えません。アメリカと距離を取りながら中国との関係を探っているかと思えば、イランをめぐる軍事衝突では支持を表明し、かと思えばホルムズ海峡が封鎖されると、不支持を表明する。日本もまた、アメリカの軍事行動には明確な反対を打ち出さない一方で、イランの報復には直ちに非難の言葉を向けます。
そこにはそれぞれの事情があり、国益があり、安全保障上の判断があるのでしょう。誰かを単純に責めたいわけではありません。しかし、そのような昨今の光景を見ていると、「正しさ」とは何か考えさせられます。振り返ると「野生の王国」に限らず、人間社会も弱肉強食であり、故に「力が正義」であることは、人類が誕生したその時からさほど変わっていないのかもしれません。
正しさとは本来、自分を映す鏡であるはずです。しかし現実には、それが自分の立場を守ったり、よく見せるための装いのように用いられています。状況に応じて不都合を避け、自分を悪く見せないように振る舞うことが、残念ながら現実の「正しさ」であり、「生きる知恵」とさえ言えるのかもしれません。
しかしそれでも、できることなら何か一本、筋を通したいものです。それは正しくあるということではありません。ただ、それによって不利になることがあっても、自分に対して正直であると思える一本、筋を通したいのです。
私は日本人ではありません。それでも、この国に生きる者として、憲法九条を誇りに思います。それは、日本がいつも正しいという意味ではありません。ただ「武力によらない平和」は、何があっても守り通さねばならない、この国の筋だと思うのです。どうしようもないけど、しかし日本とはこういう国なのだと示しうることのできる一本の筋だと思うのです。
アメリカを批判できない立場もあるでしょう。中国に「ごめんね」を言えない面子もあるでしょう。しかし、不戦の誓いだけは守り通す国であってほしい。そこだけは一本、筋を通してほしい。
そしてそれを決めるのは政治家ではなく、民主主義であり有権者なのであります。
孫 裕久